キャリアパス
- 2001年
- 西牟婁振興局 農林水産振興部
- 2004年
- 日高振興局 農林水産振興部
- 2006年
- 林業振興課
- 2008年
- 秘書課
- 2009年
- 全国植樹祭推進室
- 2010年
- 全国植樹祭推進課
- 2011年
- 林業振興課
- 2012年
- 東京大学大学院(森林利用学研究室)
- 2014年
- 競技式典課
- 2015年
- 林業振興課
- 2019年
- わかやま森林と緑の公社
- 2021年
- 日高振興局 農林水産振興部
- 2022年
- 食品流通課
- 2023年
- 有田振興局 農林水産振興部
仕事で大切にしていることやこだわりはありますか?
林務課の仕事は大きく2つに分けられます。1つは森林の整備や森林で働く方達を指導したり、木材の利用を推進したりするソフト事業で、もう一つは災害で崩れた山や林道を治す工事や林道を作る手助けをするハード事業。私は課長として両方の事業の進捗を統括しながら、時には課員の相談に乗ったりして、職員が心地よく働ける環境をつくるようにしています。心掛けているのはできるだけ笑っていること。やはり雰囲気づくりは大事で、その場にいる課員の様子や表情が変わってきます。たまに書類の文字が細かくて眉間にしわ寄せていることもありますが、それ以外はアンパンマンのようにできるだけニコニコ笑顔でいるように心掛けています。
職場の雰囲気はどうですか?
専門職の中でも林学職は仲間意識が強く、昔はその団結力の強さから「林務一党」と呼んでいた時期があった程。元々みんな顔見知りなので雰囲気はいいと思います。振興局などの垣根を越えて気心が知れた者同士、今でも仕事で困ったときは横の繋がりを通じて助け合っていますし、上司と部下の間も心安く話し合える関係が築けています。今の職場には再任用の職員が3人いますが、お互いによく知る仲なので、非常に意思の疎通が取りやすいです。
採用後の苦労したことは何ですか?
行政として法律や条例、規則に則って慎重に進めなければならないという堅さはありますが、逆に仕事によっては考え方を柔らかくして対応することも求められます。実際、びっくりするような人事異動を何度か経験しましたが、その時々の居場所を楽しめるよう、与えられた役目を理解して、そこで最大限の工夫と努力をすることを心掛けてきました。中でも全国植樹祭や国民体育大会の開・閉会式などのイベントは数年後に必ずゴールがあるのに対し、森林の仕事はスパンが50年や100年なので、全然違う時間軸を過ごすことになる。それはそれでおもしろいものです。今は課の職員が気持ちよく働けるようにするマネジメントが主な業務。今まで自分が主となって動いてきたことをちょっと引いて見る立場なので、つい出しゃばり過ぎないようにするのがちょっと大変です。
仕事と子育ての両立について教えてください。
育児面でよかったのは、職場全体の理解が進んでいるので、何かあればすぐに休暇が取れる点です。子供が小さい頃は、土日にできる限り一緒に遊んでいましたし、大きくなったらクラブ活動や発表会などに進んで協力するようにしていました。そういう意味で、病気の時を含め取りたいときに休暇が取れることはありがたかったです。それに僕が入庁してからもどんどん制度が良くなりました。今は女性だけでなく男性も育休制度がありますし、働きやすさはぐんと増しています。我が家では、今でも毎朝の子供達の朝食とお弁当づくりは朝が得意な私が担当。しっかり仕事をしながら子供と向き合ってこられたことはよかったと思っています。
キャリアを重ねる上で県庁職員の業務の魅力を教えてください。
これまで林学職だけでなく、知事の秘書をやったり、国民体育大会の式典演出をしたり、東京大学で研究したりと、いろんな事を経験させてもらいました。その上で、私自身が思うことや考えることを実現できるよう常に新しいことを考えて実践してきました。今は課の職員がやりたいことや進めたいことをできる環境を作ることに重きを置いていますが、いろんな分野の人に出会うことは自分の考え方の幅を広げられるので、若い人たちには自分の力をどこまで伸ばせるのか、ぜひいろんな業務にチャレンジしてほしいですね。
これからチャレンジしたいことは?
林業は危険な仕事でもあるので、今後は人がいなくてもできる林業を実現していく必要があります。荒唐無稽かもしれませんが、山にロボットが入る未来もそう遠くないはずです。それは現場の話ですが、他にもやってみたいのが教育分野。林業の高校を作りたいとか、子供たちが実際の山に行かずとも林業に触れられるテーマパーク的なものができればいいなとか、いろんなことを考えます。そして林業関係以外でも、保育士の資格を取得して、60歳の役職定年になったら保育所の「おじいちゃん先生」を目指したいという夢も密かに描いています。